ニートですが何か?

ニートから始める生存戦略

ニート出身者が考える、社会を生き抜いていくサバイブ術

働くか働かないかは自由だ!やはり好きな事をするべきだと思う理由

 

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どうも、そると(@nohomoto1)です。

 

 私がよく読ませて頂いているA1理論さんの今日アップされた記事が面白かったです。

 

okite.hatenadiary.jp

 

先日放送されたフジテレビ「ザ・ノンフィクション」のphaさん出演回を受けてのエントリです。

まだ見ていないという方は是非下のリンクから。

 

www.youtube.com

 

↓私もこの番組について書きました。

glenn5421.hatenadiary.jp

 

 

記事を読んでみて、自分なりに考えたことを書いていきたいと思います。

 

人に危害を加えない限り、他人の生き方に口を出す権利はない!

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以下、A1理論さんの記事から引用します。

 

で、この動画やPhaさんの存在自体について、

「いい」「悪い」を議論する人

が多いけど、その行為自体がナンセンスだと僕は思う。

 

日本は法治国家だ。

法治国家においては、法律や条令を守っていれば、それ以上はなにも要求されない。

何人も他人を拘束できないのが日本国憲法の前提だ。

 

なので、法律や条令を守っていれば、少なくとも犯罪者ではないのだ。

なので、「好き」「嫌い」はあってもいいけど、

他人が他人の生き方に口出しする権利はない!

と、僕は考える。

 

どうしても他人の生き方に口出ししたいなら、国会議員になって法律を改正するべきだ。

なぜなら、「国会」こそが「国の唯一の立法機関」だからだ。 

(ただし参議院議員になってもほとんど意味がないけどね)

 

日本は法治国家なのである。

つまり、法律さえ守っていればそれ以上は何も要求される筋合いはないのだ。

 

じゃあ、憲法労働の義務はどうなるんだ!

という声もあるかもしれないが、

憲法国民が国家に対して制限を設けるものであり、

憲法に労働の義務があるからといって、国民がそれを守る必要はないのだ。

 

もし、どうしても全員を働かせたいのならば、「労働をしないことは罪である

という法律を国家が作るしかない。

 

phaさん達のような人々を始め、ニートの話になると

良い」「悪い」の次元の話になりがちだが、それ自体がナンセンスであり

法律に違反していない以上、結局個人の「好き」「嫌い」の問題でしかないのではないのではないだろうか?

 

かのジョンスチュアート=ミルの名著「自由論」にも以下のようにある。

他人に危害を加えない限り、個人の自由は制限されない

 

自由論 (光文社古典新訳文庫)

自由論 (光文社古典新訳文庫)

 

 

ニート達は定職につかず、労働という対価を国に支払っていないのは確かだが、

誰かの幸福追求の行為を妨害こそしていない。

社会学的に言えば、ニート一人が働かないことによって貴重な「労働というリソース」が余り、それをより求める人の元に渡る可能性だってあるのだから

むしろ貢献すらしてるのではないか?と言える笑

 

www.philosophyguides.org

 

ミルによれば、

個人が個性を発揮して、他者を害することなく多様な幸福追求ゲームを営むこと。これが社会的自由

 

明確に個々人が「幸福追求」をすることが功利的には正しい社会であるとしている。

そのための行動には制限が伴うが、それは「法律」にしっかりと明記されることで制限を受ける。

逆に、法律を守る限りは「自分の幸福追及のための行動をし続けること」こそが

社会学的には功利的な行動なのだ!

 

つまり、労働は絶対な存在ではない。

労働はあくまで、自分の幸福指数を可能な限り上げるための一つの手段であるべきで、労働のために自分の幸福指数をガンガン下げることがあれば、

それは社会学的には功利的とはいえない。

 

昔、特にバブル世代くらいは「労働」から確かな幸せを手に入れることができていたのではないか?

経済成長・終身雇用・確かな昇給・マイホーム・・

だからその世代が「労働」を人生の中心に据えることは、功利主義的にも当然の結果と言える。

 

しかし、いわゆるロストジェネレーション世代・氷河期世代からその様相は変わり、

「労働」から得られる幸福が相対的にどんどん下がっていった。

それだけ日本という社会が世界的に貧しくなっていった結果なのだろう。

そういう世代が果たして「労働」を人生の中心に据えようと思うだろうか?

 

そうなると従来の価値観で「とりあえず働いとけ!」というのは、

唯一の正解とは言えなくなってくるのではないだろうか。

 

 

 働き方に個々人の差があるのは、『働く意識レベル』の問題

 

 「働く」の画像検索結果

 

ニートが善悪の問題ではなければ何なのか。

A1理論さんはこう続ける

 

というわけで、PhaさんやPhaさんの周りのニートっぽい人、実家ニートやひきこもりの問題は、善悪の問題ではなく、

『働く意識レベル』の話なんじゃないかな?

 

そう、ニートとかの問題は善悪の問題ではなく、

単純に『労働』に対する意識の差、つまり『働く意識レベル』の問題なのではないか、と。

 

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左に行くほど、いわゆる『超人タイプ

『仕事をしなければ生きていけない!』というタイプだ。

 

対して右側に行くほど『働きたくないでござる!!タイプ』笑

『仕事するなんてまっぴらごめん。ゴロゴロ寝ていたい!』

というタイプ。

 

これはなるほどなぁ・・と思った。

結局、働き方に差があるのは個々人の『幸福追求の結果』でしかないのではないか。

バリバリ働くことが生きがいな人もいえれば、田舎でひっそりと隠居生活をすることが幸せと感じる人も居る。

その中にたまたま「ニート」でいることが幸福と感じるような人間がいただけの話・・

だから、ニート問題を善悪の基準で語ることはナンセンスなんじゃないだろうか。

 

ただ、一つ言及したいのは

ニートの中で、ニート生活を積極的に選び取っている人間は希少

なのではないかということ。

ニートが皆『働く意識レベルが低い』かと言うと、実際はそうではなく

働く意欲は誰よりもあるのだが、社会生活に馴染めず、職業能力もなくニートになってしまった

というようなケースは多いのではないかと思う。

発達障害とか適応障害などが原因で社会からドロップアウトしてしまった人は多い。

 

 

逆に、本当はニートをした方が幸せなのに、無理矢理会社にしがみついているサラリーマンも多いのではないか。

 

こういう人たちは、まず今の状況を「幸福」だとは感じていないだろう。

なので具体的に幸福追求のために行動を起こしていく必要がある。

 

 

個々人オリジナルの「幸福追求」を目指す時代が遂にきたのではないか?

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資本主義は大量にモノを生産し、大量に消費することで回ってきた。

モノが無い時代では、モノは作ればそれだけ売れた。

だから、日本は安定して経済成長を遂げることができた。

 

しかし今では「モノ」が溢れ、ただ生産するだけでは経済が伸びなくなった。

それがここ空白の何年と呼ばれる時代。

 

もうただ闇雲に頑張れば報われる時代は終わった。

そして、いよいよミルのいうような「幸福追求」を目指す時代が来たのではないか?

と私は考える。

 

 昔はなんだかんだ、生活を便利にするためにモノを手に入れる必要があったのだろう。

しかし、今やモノは溢れているし、何よりネットもある。

普通に生活をするだけなら、昔よりも十分便利に快適に暮らせるはずなのだ。

 

だからこそ、お金のために無理に合わない環境であくせく働くのではなく、

『自分にとって何が幸福なのか?』を追及し続けて歩き続ける

ミルのいう「幸福追求」をする時代にいよいよなってきているのではないかと思う。

 

 

とはいえ、何が自分にとっての幸せか分からない・・

自分の好きな事をすればいいのだ。

www.youtube.com

 

 ホリエモンが散々口にしているこれ。

やりたいことをやればいいのだ。

やりたいことをやっている時、人間は本当に幸福になれる。

 

先ほど記述した

仕方なくニートになってしまったニート

の場合を考える。

彼は、少なくとも今の状況に満足していないのだろう。

なら、薄々考えているその道を進むしか本当の幸福はありえない。 

ニートをやるなら、「働かないふたり」のような、幸せニートにならねばいかんのだ!

働かないふたり 11巻 (バンチコミックス)

働かないふたり 11巻 (バンチコミックス)

 

 

もちろん、そう簡単に行くくらいなら引きこもったりニートになることはないだろうから難しい。

だからこそ「好きな事」をすればいいのだ。

好きな事ならいくらでも寝食を忘れてできるのだから。

そして、好きな事を追及していった先に他人との関わりを持つことができる。

 

arata-media.com

 

phaさんの仲間である、番組にも出演した小林童蟲さん

引きこもりの時期に漫画を描きまくっていたら、ネットを通じて女性と出会って引きこもりから脱出した。

 

人生どう転ぶかなんて、誰にもわからない。

点と点を繋ぐのは、あとで振り返ってからでもいいのではないだろうか。

 

 

 最後に

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人生に正解はないのではないかと思います。

もう親世代のいう事を黙って聞いていればいい時代は終わりました。

これからは地図の無い旅をしていくようものなのかもしれません。

 

そういう時代だからこそ、他人の顔色をうかがって遠慮をするより、

好きなことをやってまずは自分を満たすこと。

そうした一人一人の行動が結果的に豊かな社会を作りだしていくのではないでしょうか。

 

たとえ道に迷っても、「自分の幸福」という北極点をコンパスに進めばきっといいのだと思います。

多様な生き方を認める社会になることを信じて。

日々歩いていきましょう。

 

 

おわり