「大人」にはなるな。常識に縛られるな。
どうも、そると(@nohomoto1) です。
最近はニート生活がすっかり板についてきており、働く感覚を忘れつつあります…笑
生活リズムだけは整えて、体調管理はしっかりりしていってるつもりです。
今週からハロワに通い始めました。
ですが、思うような求人は無く…
まぁ気長にぼちぼちやっていこうと思います。
このご時世に何言ってんだ!!職を選んでる場合じゃないだろ!
そういう意見もごもっともではあるんですが…
とはいえ合わない仕事をして本気で死にたいと思った日々を思うと、何でもいいからとにかく働け!というのは正論では無いんじゃないか?と思ってしまいます。
今回はそんな「常識に縛られるな」ということについて、自分なりの考えを書いてみようと思います。
常識に縛られた「大人」には決してなるな
日本ではとにかく「常識」というものが余りにも広く、疑われることなく受け入れられ過ぎていると思います。
こうするのが「普通」。ああはしないのが「普通」といったような。
例えば、いい大人は「何歳からは実家を出て、正社員として働いて、家庭を持って、マイホームを持って…」とするのが「普通」のような。
これ自体が疑われることなく「普通」として受け入れてるので、もしそれに該当しない人がいたりすれば
「え…?どうしてしないの…?」とただ疑問を投げかける人は多いのではないでしょうか。
自分もかつてはこっちの「常識」を正しいと信じて疑わないタイプでした。
両親が教師なため、その辺りの考えはそれなりに厳しく教えられました。
ですが、ハッキリ言って日本の「常識」は一種の宗教みたいなものです。
当然別の国にいけば180度違う価値観でしょうし、絶対的なものではない。
言ってしまえば「国の上級国民が、自分達に都合の良いように下々の者達が動いてくれるために作ったルール」
ですからね。
極端な話、上の人間が恐れているのは、国民が一斉にストライキして働かなくなることなんですよね。ですが、それをしないのは
「我々もキリキリと働く中で、それなりの幸せを享受できるレベルにはバランスが取られている」という現実があるからです。
なんだかんだ日本は快適ですから。(労働環境は劣悪ですが!笑) 上手いバランスにできていますよ…汗
しかしその「常識」の裏には、正規ルートに入らず脱落していく多くの人がいるのです。
自分もその1人で、「大学を出たのにこんな仕事を… 親不孝だね」みたいなことは散々言われました。しかも今はその仕事すら続けることができずにニートに戻ってしまった。
ですが働いて思いましたが、「今の日本で正社員で働き続けることは決して誰でも達成できる簡単なものではない」ということです。
どう考えても劣悪な労働環境かつ低賃金な会社は沢山あり、そこでも働かなくては人権すら得られないのがこの日本の「常識」なんですよね。
「働いているのが普通」ですから。
自分は大学を無職で卒業しニートをしていた頃、大学をを出たのに働けない、周りと同じにやりたいのにできない、「普通」になれない。と悩んでばかりいた日々でした。
そんな時にphaさんの「ニートの歩き方」を読んで、電撃が走ったかのごとく衝撃を受けました。
そうか…俺がおかしいんじゃなくて、日本の「普通」がおかしいんだ…と
冷静に考えて、これだけ若者が自殺する国で考えられている「普通」が正しいわけないですよね。
この「常識」それ自体に疑問を投げかけてくれたのがphaさんや、山奥ニートの皆さんなんだと思います。
この人達の考え方を知れて、そうか、「生きる」ことを考えれば道は色々あるんだな…と思えたからこそ、試しに働いてみて駄目だったら撤退すればいい、と気軽な気持ちで働けたわけです。
自分を必要以上に責めることも無くなりました。
「常識」は決して絶対的なものではない。これは認識しておかねばなりません。
日本ではそれが「普通」だということを当たり前にするのが「大人」だと言われますが、自分はもしそうなら「大人」には到底なれないですし、なりたくもない。
その狂った思想に染まって自分の頭で考えられなくなるくらいなら、「大人」と言われずとも1人の「人間」でいたいと思います。
「常識」も確かに正しい側面はある。大事なのは常識を相対化すること。
とはいえ…
働かねばお金は無く、お金が無ければ苦しい思いをすることになる…
これも確かに真実なのです。
自分が音楽活動出来ているのも、実家に住んで衣食住の保証がされていること、自分の働いた時の貯金があるから、というのは紛れもない事実です。
親や世間の人が言うことも、「正しく」はあるんですよね。
なので大事なのは
まぁ確かに「常識」ではそうだよね〜!
と一歩引いた目線で常識と付き合うことだと思います。
元ソフトオンデマンド社長で、マネーの虎でも有名な高橋がなりさんの好きな言葉がありますが、
「常識を身につけ、常識を疑え」
という言葉があります。これは、常識は思考能力のない人のための道具である場合が多い。
という意味だそう。
この世の中を渡っていくには、確かに広く受け入れれている「常識」という基本ルールを身につけておくのは確かに大事なことなのでしょう。
その上でそのルールは絶対的なものではない、と一歩引いた立場から俯瞰して、常識に囚われず動くことが必要なのではないでしょうか。
もう「常識」は完全に古い。アップデートしなくてはいけない。
コロナの影響により、日本社会は大きな変化を受けることになりました。
まさに漫画「進撃の巨人」で壁の向こうから巨人が来てそれまでの平穏が壊されたように、日本の「普通」そのものが完全に変わらなきゃいけない時に来ています。
大企業ですらリストラされる可能性があり倒産すらありうる現在、他の人がいうような「安定」はどこにも存在しないんですよね。
正社員になれば安定。これはもう絶対的にありえないことです。会社で黙って働いていれば未来が安泰なんてない。確かにニートのままでは不安定なのは間違い無いですが、会社員とて同じことです。
もうこれという正解がない時代に来ているんですよね。
だからこそ、「常識を身につけ、常識を疑う」姿勢を持ち、自分なりの生存戦略と「俺はこれで幸せなんだ!」という自分なりの価値観を身につけていくこと。これが非常に大切なのだと思います。
自分もこれからどうなるか分からないですけど、この姿勢は大切にしていきたいと思っています!
では!