ニートですが何か?

ニートから始める生存戦略

ニート出身者が考える、社会を生き抜いていくサバイブ術

逃げない勇気 自分を鍛えること

先日の親父との口論を録音を聞き返して思った事。

 

先日親父と口論になった。

その際に私はその一部始終をスマホでこっそり録音していた。

 

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今朝から、その録音を聞き返しつつ、ポイントをノートにまとめていた。

そこから学んだことがいくつかあるので述べていきたい。

 

やっぱり楽に逃げちゃだめなのかもしれない、ということだ

 

生き辛い大学生活 そして就活から逃げる

 

私は就活もせず大学を卒業しニート生活を1年以上続けている。

何故こういうことになったか。

私は発達障害の傾向があり、実際先日のウェクスラー式知能検査の結果も、

知覚知能が人より著しく低いことが判明した。

 

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言語的知能はまずまずだが、知覚知能とのギャップが大きい。

このギャップが私を苦しめてきた。

パッと見普通だし、会話も普通にできるので最初の印象は良い方なのだが、

徐々に自分の仕事の出来なさが露呈してくると、そのギャップから極端に悪い印象を与えることが多いようだ。

サッカーはまるでできなかったし(空間把握がとにかく苦手。運動神経も悪い)

新しい仕事を覚えるのに多大な努力を要する。(レジ打ちでさえ、当時の俺にとってはとてつもない大きな壁だった。)

高校生までは、親元にいてスケジュールなども学校側が管理していたので、ここまではなんか生き辛いなぁと思いつつもさほど問題視していなかった。

 

だが、大学に入ってからスケジュール管理や部活や恋愛など、様々なイベントを自分で管理してこなさければできなくなった時に大きな壁に初めてぶちあたることになる。

自己のスケジュール管理ができず、部活やゼミでも迷惑をかけてしまう。

バイトではとにかく仕事ができない。

恋愛は相手の気持ちが分からず喧嘩ばかり。(後に親のモラルハザードの影響だと判明した)

幸い、人として憎めない奴ではあるようなので、心の底から嫌われるというような事は少なかったと思うが・・

だから、大学はとても多くの苦労をした。もちろん苦しい事だけではなく楽しいことも多かったし、悪くない5年間(私は一度留年している)だったと思う。

 

就活の方だが、

私は両親が教師だ。

なので、元々教師を目指いしていたのだが、教育実習でもミスを連発。

担当教員に怒られまくる地獄の二週間が続いた。

すっかり自信を失っていた私にこれはトドメだった。

私は教員採用試験を受けることなく、撤退した。

 

当然民間の方の知識もなかった

そうして私は就活から逃げた。

何度か合同説明会にも行ってみたりはした。

だが、なんというかピンと来るものが無く、すぐにやめてしまった。

そもそもまずどうやってエントリーするのかも分からない

面接なんてできる気がしない・・

当時の私には壁があまりにも大きすぎた。

そうして私は就活することなく大学を卒業し、ニートになった。

 

 ニートになった理由 そして色々と本を読んだりブログを見たりして考えた事

大学に留年し5年目の時、部活もバイトも辞めた私は時間が有り余っていた。

そこである一冊の本に出会った。

 

ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法

ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法

 

 

おなじみスーパーニートphaさんの本

これは私の既存の価値観をすべてぶち壊してくれた。

今までは働くこと=人生のすべてという風にしか考えることができなかったが、

この本を読んでみて「そうだ、ニートもいいかもしれない」

と思ってしまったのだ。

 

教師の夢破れ、他にやりたいことも特に考えてなく、さらに社会生活を営む自信をすっかり失っていた私は

「とりあえず、ニートやろう。それで本当に働きたくなったらその時は働こう」

と思った。

 

そうしてニート生活が始まった。

 

色々とブログを読んだり、phaさんの本とか様々な本を読むにつれて

「就職だけが人生のすべてではない」

というのは徐々に腑に落ちるようになっていった。

本当に現代の日本は一歩レールを外れてみれば、そこには多様な生き方が広がっているのだろう。

情報は力なり。 

 

okite.hatenadiary.jp

→よく読ませていただいているA1理論さんのブログ

まさに先鋭的な生き方!!

 

 

いつかの電通女子の痛ましい事件もあった。

彼女は身を呈してこの現代社会に問題を投げかけたのだ。

「現代の日本人は少し働きすぎて、本来の幸せを失っていかけている」

仕事に疲れて死んでしまっては元も子もない。

生きて何ぼの人生だ。

 

社会的な側面にも初めて目を向けるようになった。

現代の資本主義は限界に近づいている。

高度経済成長期のような、経済の永遠の成長はもうあまり望めないし、

今はともかくこれからの10年に日本にのしかかってくるのは少子高齢化問題だ。

 

インベスターZ(1)

インベスターZ(1)

 

 

インベスターZの電子版がほぼ無料で投げ売りされたので、試しに読んでみた。

 

インベスターZの中でもあったが、

経済の成長率=人口の総数

という側面はある。

単純に多くの労働人口がいたからこそ生産性は上がり、結果的に経済が上向きになった。

これは当時のベビーブームのおかげだ。

 

これかの社会は、その団塊の世代が続々引退し、少子化した社会の中で若者が多くの老人を支えていかねばならない。

もはやこの社会のシステムは崩壊しかけているのだ。

今の新卒一括採用というシステムは高度経済成長期のシステムであるが、

これからは企業もそんなことを言ってられなくなるだろう。

なぜならば単純に労働人口が減るのだから

新卒に限らず、既卒・フリーターなども積極的に採用していかなければならなくなるのえでは?と考える。

 


#005 岡田斗司夫ゼミ「ニート革命!働かなくていい10の理由」(2011/10)

 

岡田斗司夫さんの「働かなくていい理由」

これは最初は拒否反応があったが、最近ではよく理解できる。

 

つまりは、

今の社会で正社員として働くことはコスパが悪すぎる!!!

ということ。

会社は昔より無駄がそぎ落とされ、従来なら新入社員が担っていたような仕事は今では

派遣社員が担っている。

つまり、今の会社は即戦力を求められる。

加えて、給料はどんどん下がってきている。

以前よりも働く負担が増え、なおかつ給与は下がっているのが今の会社だ。

なんだそれ!

もちろん正社員という立場を否定するつもりは全くない。

苦しいのは皆同じだし、やはり正社員は身分や安定感という意味では断トツだろうし。

 

他にもたくさんのブログや本を読んだ。

以上のことから考えることは、

別にニートでもいい。幸せに生きること。それが一番だ

という私の考えは出来上がった。

 

ニートだからこそ前に進めることもある 自己改造の日々

 

このニート生活の中で自分に様々な実験を施してきた。

そうして、以前より自己管理能力が身に付き、そして生き辛さを克服できている自分が居ることに気付いた。

これはたまに友人と会ったり、派遣のバイトをしたりした時に感じたことだ。

 

様々な自己改造本を読んで実験した。

 

スタンフォードの自分を変える教室 (だいわ文庫)

スタンフォードの自分を変える教室 (だいわ文庫)

 

自分を変える技術の第一歩がこれだった。

これだけでは根性論になるのであまり上手くいかなかったが、

ウィルパワーについての理解はこの本で深めてよかったと思う。

 

ポジティブ・チェンジ

ポジティブ・チェンジ

 

 Daigoさんの本

最高の名著。まさにこの本で色々と変えることができた。

 

 

カイン―自分の「弱さ」に悩むきみへ (新潮文庫)

カイン―自分の「弱さ」に悩むきみへ (新潮文庫)

 

 中島義道さんの本

アダルトチルドレンの私の生きづらさを解消してくれた。

 

 

~1日10分で自分を浄化する方法~マインドフルネス瞑想入門

~1日10分で自分を浄化する方法~マインドフルネス瞑想入門

 

 瞑想も習慣化した。

これにより、自分をメタ認知できるようになった。

 

自己改造術についてはそのうちまた別に記事にしたいと思う。

 

こうした実験の中で自己理解を徐々に深め、メタ認知もできるようになっていった。

前述したウェクスラー式知能検査を受けた事も自己理解のためだ。

大学の時になぜ上手くいかなかったのか、なぜ私は仕事ができなかったのか。

これらを俯瞰的にとらえることが初めてできたのだ。

何故このようなことができたのかというと、

ニートだから『時間』があったからだ。

 

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ニートの最高のリソース、『時間』を活かしてここまで自分を動かすシステムを作り上げることができたのだ。

むかしよりもくだらないことで笑えるようになったし、自己肯定感も増えた。

ニートなのに自己肯定感?と思う方も居るかもしれないが、むしろ逆だ。

ニート=自己否定に陥ると「働いていない自分には価値が無い」という思考になってしまう。

何もない自分をまずは赦し、マルをつけてやることが、本当に進むためには必要な事なんじゃないかと思う。

 

がんばらない成長論

がんばらない成長論

 

 

だから、昔よりも精神的には自立できている気がするのだ。

この時間はこの生き辛さのトゲを抜くための時間だったのでは?

と思う。

もし運よくそのまま就職したとしてもきっと辞めていただろう。

根本のOSから私は改造しなおす必要があったからだ。

だから、このニート期間は決して無駄ではなかったと胸を張って言える。

 

私に唯一足りていないもの

親父との口論の話に戻るが、録音を聞き返して聞いてみると

意外とそこまで自分はみっともなくは無かった

ちゃんと自分の言葉で話し、思ったことは正直に話す。

謙虚に俯瞰する目を持ち、相手の意見もちゃんと吟味して考える。

昔はこんな風に自分は言えなかっただろうなぁと思うと、それは成長したと言えるだろう。

だが、やはり唯一足りていないものがあると感じた。

 

『経験』

 

ハッキリ言って、

私は親父よりも「メタ認知」とかは得意だ。

なぜならば、親父はそもそもそれができなかったため、私は無意識にその能力を獲得することができず、自分で試行錯誤してシステムを作り上げていく必要があったからだ。

親父はこれまでもたびたび私と口論になったが、そのたびに彼は徐々に変わっていった。

私が日々変わっていくのを見ての影響は必ずある。

本人も「お前は成長したな」というように言っていた。

 

だから、私は決して口論でも論理的に話している。

 

しかし、その言葉には最後の重みが足りない。

 

『経験』がないからだ。

 

 

大学生活の経験は本物だ。

だからその経験に基づけば私は確固たる重みを伴って発言もできるだろう。

だが、親父はそれがどんな形であろうと私よりも40年近く長い人生を生きて様々な事を経験しているのだ。

その親父の経験から導かれる言葉はやはり真に重みがある。

 

私はどんなに本を読もうと、所詮ただのニートの一人に過ぎない。

だから、俺が何と言おうと、そこにある響きは虚しく響くものも多い。

なぜなら経験していないから。

挑戦していないから。

 

充足を超えた先にあるもの、それが答えなのでは?

私はニートの今でも十分に幸せだと胸を張って言える。

家族が皆生きていて、健康な体があり何が不満か?

私は極論を言えば、今死んでも全然悪くない人生だったなと言える。

 

じゃあもう人生「上がり」かというとそんな事はない。

私はまだ死にたくない。

 やりたいことはある。

だって『経験』していないから。

 

まずは「ここにある幸せ」を

「足るを知る」という感覚だろうか。

そこからすべてが始まる。

目の前の事に感謝すること。

 

それだけでも人生は素晴らしいと思うが、

それを超えた「何か」にきっと人はぶつかるんだろう。

 

私は確かに発達障害の傾向がある。

だから人より苦労することも多いだろう。

だが、目が見えないわけではない。手足が無いわけではない。

身体障害の人は、生まれながらに可能性が狭められている。

それを考えると、私は何と恵まれているのだろうか。

 

phaさん的に言わせれば、「もったいない」という言葉は良くないと思う。

私も同意だ。

各々がやりたいことをやって、真に充足を目指していくのが人生だと思う。

 

しかし、phaさんはきちんと就職したり色々経験した上でその思想に行き当たっているのであって、

決して「怯え」からくる発言ではないのだ。

 

A1理論さんにしてもそうだ。

しっかりと自立し、自分の生活を自分で組み立てているからこそ、そうした生き方は真に重みをもって受け取られる。

「就職」に対し「怯え」でその選択しているのではなく、自分の価値観に照らし合わせたときに間違いなくそう!だと言えるから選択しているのだという印象を受ける。

 

だが。私はどうだろう。

私は今も充足しているが、やはり「怯え」ている気がする、

「逃げ」の選択をしている気がする。

 

私は本当は何がしたいんだろう。

もっと愚直に考えてもいいのかもしれない。

 

親父は教師だが、仕事で二度ウツになっている。

だから、親父のアドバイスは素直に聴けない自分がいる。

その先には鬱になる自分が居る気がしてならないからだ。

 

だが、逃げずに戦ってきたのは事実だ。

その姿には確かな「何か」が宿っている。

 

頑張って、努力して・・私はそういう人種が決して嫌いではないのだ。

むしろ、そういう思想寄りなピュアボーイなのだ。

ただ、ウツになるほど頑張る必要はないのも事実だ。

人生は幸せになって何ぼなんだから。

 

楽に逃げてもいいだろう。

しかし、そこで充足できない「何か」にぶちあたった時に、人は行動して『経験』するしかなくなるのかもしれない。

そしてその楽を乗り越えた先にはやはりカッコイイ自分がいるんじゃないか・・とか

考えてしまうピュアな自分も居る。

 

そう、どうせ選ぶなら前述した二人のように

腹の底から「俺はこの生き方がいい!」と呼べる生き方をしたい!!

俺は今のままでいいと思ってはいない。

自由な生き方とは、まずは全ての責任を自分で担ってからだ。

 

「逃げ」の選択は人を弱らせる。

この生活で社会人としての資質はどんどん下がっているのは事実だろう。

自分を鍛えることができるのは、本当に苦しい経験を乗り越えてからだろう。

 


UVERworld 『PRAYING RUN』

 

右と左どちらが正解?押すべきか引くべきか 

それが幸と出るか不幸と出るか 全部やって確かめりゃいいだろう

 

全部やって確かめりゃいいだろう 

 ほんとにそうかもしれない。

まだ俺はギリギリ若者と呼ばれるラインだ。

そんな青二才が人生悟ったような口を聞くのは無理がある。

色々試してダメだったら次。そんな風でいいのかもしれない。

まだ人生の可能性を狭めるには早すぎる。

 

最後に必要なのはやっぱり『勇気』なのかもしれない。

 

決して頑張りすぎず、かといって諦めず。

日々を悔いの無いように過ごしていきたい。

 

 

幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

 

 

長くなりましたが終わります!